労働判例〜賃金や賞与、退職金

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住宅融資残額(返還請求権)による退職金の55%を超える相殺は有効と認められるのか?

労働判例案内人

相殺同意が完全な自由意思によるものと認めるに足りる合理的理由が客観的に存在し、本件相殺により経済生活を脅かさず、民事執行法の制限条項の適用もないから、本件相殺は有効とされた事例
(昭和59.10.31 大阪地裁判決 D工業事件)

 

判決の要点

当該従業員Nの破産に伴う破産管財人による本件退職金請求

当該従業員Nは、昭和58年10月3日午後1時、大阪地裁により破産宣告を受け、原告は同日その破産管財人に選任された。
Nは昭和42年1月から被告会社に雇用され、同58年8月末退職し、その退職金は382万4,000円となった。
原告破産管財人は、被告会社は退職金の一部しか支払わないとして、未払い退職金のうち、111万円余等の支払いを求めた。

 

住宅融資資金の借入とその返済状況等

当該従業員Nは、昭和56年9月21日、被告会社から住宅融資金250万円を借り受け、これを頭金として不動産を990万円で購入したが、被告会社の貸付金に対する返済金及び利子を賃金支払いの際に賃金から控除する旨規定する労働協約92条に基づき、当該借入金を毎月の給料から一定額控除されて、弁済してきた。

 

ところで、Nはいわゆるサラ金から多額の借金を負い、そのためサラ金から被告会社へも返済督促の電話を受けるようになって、被告会社にいずらくなったことなどから、昭和58年8月頃退職の決意をし、その頃、被告会社に対し退職の申し出をし、同月末日退職することとなった。

 

退職金による借入金の弁済等

1.一方、被告会社は、Nの同社に対する上述借入金の残債務が退職時点で元利合計207万5,000円余となっていたところ、Nの退職金をもって確実に弁済を得ようと考え、同人の退職直前に同人に対し、退職金について総額が382万7,000円余で、うち年金規約による大和銀行払いが229万6,000円金、会社支払額が152万7,000円余である旨説明の上、当該退職金をもって上述借入金残債務207万5,000円余の弁済をして欲しい旨、ついては、銀行払いの退職金につき、N名義の銀行口座を被告会社近くの東海銀行新大阪支店に設け、併せてN名義の通帳と銀行印を被告会社に保管させて欲しい旨を申入れたところ、Nは、上述借入金残債務額を承認の上、これら各申し入れをいずれも承諾し、その頃、上述銀行に自己名義の預金口座を開設し、その預金通帳と届出印鑑を被告会社に交付した。

 

2.被告会社は、Nの退職の翌日(9月1日)、同人に対し改めて会社支払分の退職金全額を前記借入金債務の弁済に充てることにして欲しい旨を申し出、ついては、当該退職金支払の決算上退職金を受領した旨記載した領収書に署名するよう求めたところ、Nは、当該退職金をもって債務の返済に充てることを納得して領収書に署名し、また、これを同人妻にも説明したが、格別不服はなかった。

 

3.銀行支払分の退職金が同年9月14日にN名義の預金口座に振り込まれ、その通知を受けた被告会社総務部長は、N、Nの妻、義兄に対し退職金を払い戻したい旨連絡し、同月16日、N名義の預金通帳と印鑑を持参し、N、Nの妻、義兄と同道して前記東海銀行新大阪支店に赴き、退職金等全額を引き出し、その後Nらと当該金員を被告会社に持ちかえった。

 

そして、総務部長は、引き出した金員の内訳とNの債務の内訳等を記載した「N預り金精算明細書」を作成し、これをNら3名に示して、その内容を逐一説明し、当該金員の一部をもってNが被告会社等に対して負担する住宅融資金残債務合計54万7,000円金及びNのO課長借入金等合計4万円、以上58万7,000円金の返済に充てて貰いたい旨申し入れたところ、Nら3名は、総務部長の上述説明と返済の申し出を了承して、当該退職金をもって当該債務の弁済に充てることに合意した。

 

そこで、総務部長は、引き出した金員(退職金229万6,000円金、預金1万円、利息百円余、合計230万6,000円余)からNの債務等58万7、000円金を差し引き、残余をその場で交付し、Nらは何らの異議なくこれを受領した。

 

本件退職金から融資金残債務等の控除の可否

1.労働基準法24条1項本文は、いわゆる賃金全額払いの原則を定め賃金の控除を禁止しているが、この原則の趣旨は使用者が一方的に賃金を控除することを禁止し、もって、労働者に賃金の全額を確実に受領させ、経済生活を脅かすことのないようその保護を図るものであるから、賃金債権と使用者が労働者に対して有する債権とを、労使間の合意によって相殺することは、それが労働者の完全な自由意思によるものであり、かつ、そう認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するときは、全額払いの原則によって禁止されるものではなく、有効と解するのが相当である。

 

2.そこで、上述の観点から、本件事実関係を検討するに、本件においては、前記のとおり、被告会社はNの同意を得て、Nの退職金債権と同人の被告会社に対し負担する住宅融資金借入金債務等とを相殺(差引計算)したものといえるが、当該相殺された合計金額は、合計211万5,000円余で退職金合計額の382万4,000円金の5分の3弱(55.3%相当)に及ぶものである。

 

しかし、Nが相殺に供した金員は、退職金であって月々の生活を支える月給とは異なり、相殺に供しだからといって、このことのみによって直ちにNの経済生活を脅かすものとはいえないこと、また、本件相殺に供された金員は、不法行為による損害賠償債務等労働者が一方的に負担する債務ではなく、住宅資金の借入債務で、Nはこれを基に不動産を購入し資産を得ているもので、使用者から現実に便宜を提供され、利益を受けた独立の信用上の貸借債務であり、しかも、Nは、労働協約に基づき当該借入金を毎月の給料から一定額控除される形で弁済してきたが、退職に伴いこれができなくなるので、Nとしては当該借入金の残債務を給料の控除による弁済以外の方法による弁済をする必要に迫られていたし、当該借入金の存在及び額について全く争いがなく、被告会社も一般的に将来にわたって労働することを期待して労働者に経済上の便宜を供する趣旨で住宅融資金の貸出制度を設けているというべきであるから、Nが完済前に退職するに及び給料の一部控除による返済を受けられなくなり、その残債務を他の方法で得べき合理的な必要性が存したことや、Nの証言などを併せ考えると、Nの当該相殺に対する同意は、完全な自由意思によるものと認められ、かつそう認める
に足りる合理的な理由が客観的に存在していたものと認めるのが相当である。

 

3.したがって、当該相殺は有効というべきであり、Nには、当該相殺された211万円余の退職金の支払請求権はないものというべきである。

 

民事執行法の制限条項の適用の存否

なお、原告は、相殺として退職金の一部控除が許されるのは、民法510条、民事執行法152条の各規定により、退職金の4分の1の範囲に限られる旨主張するが、本件相殺(控除)は、前記のとおりNの自由意思に基づくものであるから、当該規定による制限を受ける故はなく、原告の主張は理由がない。

 

以上によれば、Nの退職金債権は、前記現実の退職金支給及び合意による相殺により、全額消滅したものというべきである。


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